ポルトガルってこんな国! でもキャンセルなんです・・・

ポルトガル共和国、通称ポルトガルは西ヨーロッパのイベリア半島、ユーラシア大陸の最西端に位置する共和制国家であります

世界の価値観を一新した大航海時代の先駆けと言われて、ポルトガル黄金期を築きます

北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,2141kmに及び、西と南は大西洋に面しています

ポルトガルと日本は深いつながりがあり、鉄砲やキリスト教は伝わったのは有名です

他には靴下、タバコ、ガラス、大砲、あるいはカッパ(雨具)やコップもポルトガルから伝わったと言われています

食べ物ではカステラ(スペインのカスティーリャ地方からと言う説もあり)、天ぷら、こんぺいとう、カルメ焼き、あるいはキャラメルもポルトガルから伝わったと言われています


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正式名称 : ポルトガル共和国(Portuguese Republic)

面積 : 91,985平方キロメートル(日本の約4分の1)

人口 : 約1,030万人(2016年現在)

首都 : リスボン

公用語 : ポルトガル語


ポルトガルの世界遺産は全部で15あります(2017年現在)

通貨はユーロ(両替レートで€1≒140円)

日本との時差はマイナス9時間

電圧は220VでコンセントはCかSEタイプ


国旗の由来ですが、緑は誠実と希望、赤は革命を示し、黄色の球体は大航海時代の航海用天球儀で先人たちの新航路発見を表したもので、その中心に7つの地域を表した盾が描かれています

建国は1143年、EUには1986年に加盟しました



ポルトガルは食文化も豊かで、美味しい物が色々あります

また、ポートワイン、マデイラワインなども有名で、ヨーロッパでも最も長いワイン生産の歴史を持つ国の一つでもあります







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ポルトガル共和国、通称ポルトガルは西ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家であります

北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,2141kmに及び、西と南は大西洋に面しています



━ ポルトガル史 ━

紀元前2~1世紀頃ローマ人によるイベリア半島支配

5世紀 ゲルマン人の進入

711年 イスラム教徒のイベリア半島進入 西ゴート王国滅亡

718年 レコンキスタが始まる


レコンキスタとは、キリスト教徒を中心に711年~1249年の長期にわたりイベリア半島を支配してきたイスラム教勢力を追放するための戦いであり、国土回復運動と呼ばれています


722年 コバドンガの戦い、アストゥリアス王国成立

868年  キリスト教徒がポルト入植

878年  キリスト教徒がコインブラ入植

997年  アンリ伯がポルト奪還

1064年 カスティーリャ王国成立


カスティーリャ王国とは、中世 ヨーロッパ、イベリア半島中央部にあった王国であり、キリスト教国によるレコンキスタ( 国土回復運動)において主導的役割を果たし、後のスペイン王国の中核となった国であります


1112年 アンリ伯没

1143年 アンリ伯の子アフォンソ・エンリケスがポルトガル王国成立・コインブラに首都設置(カスティーリャ王国による承認)

1179年 ローマ教皇がポルトガル王国承認

1249年 レコンキスタ終了

1255年 リスボンに遷都

1394年 エンリケ航海王子誕生


エンリケ航海王子はポルトガル王ジョアン1世の第5子としてポルトに生まれ、ポルトガルの海外進出の先駆者であり最大の功労者だが自身は航海しなかった
北アフリカのセウタ攻略に参加し、帰国後はザグレス岬で航海者を育成しました


1415年 エンリケ航海王子指揮の下でのセウタ攻略を皮切りに、世界進出から大航海時代の幕が開ける

1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ インド航路発見


ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を発見し、香辛料を手に入れポルトガルに巨万の富をもたらす
3度目のインド航海時にマラリアに感染し死去


1500年 カブラルがブラジルを発見
      (カブラル=ヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征を引き継いだ航海者)

1520年 マゼラン海峡発見


マゼラン(ポルトガル人)はモロッコ遠征でのムーア人との取引が王の不信を買い、スペインに亡命する
スペイン国王に信任されたマゼランが、5隻のスペイン艦隊を率いて南アメリカ大陸南端とフエゴ島とを隔てる海峡(太平洋と大西洋を結ぶ)を通過、後に彼の名を取ってマゼラン海峡と呼ばれる
1521年にマゼランはフィリピンで亡くなるが、彼が率いた艦隊が史上初の世界一周航海を成し遂げる


1543年 種子島にポルトガル人漂着

1549年 フランシスコ・ザビエル来航


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ザビエルくんです
※ ポルトガル人ではなく、スペイン・ナバラ王国のバスク人

日本の歴史では1543年に種子島にポルトガル人漂着・鉄砲伝来となっていますが、ポルトガルの歴史では1541年に日本発見となっています
ザビエルはポルトガル人ではありませんが、ポルトガル王の要請で東インドに派遣され、1542年同地ゴアでポルトガル人信徒の指導、現地住民の改宗のために働き、1545年 ~1546年~マラッカ、モルッカ諸島、アンボン、モロタイなどに赴きます
ゴアで宣教監督となったザビエルは、1549年イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船でゴアを出発、薩摩半島・坊津(現在の鹿児島県南さつま市)に来航しました


1553年 日本人がポルトガルに入国

1580年 スペインがポルトガル併合(スペイン王フェリペ2世がポルトガル王となる)

1640年 レスタウラドレスの奮起 スペインから再独立(王政復古)


スペインから再独立後植民地経営で発展すると共に、植民地であるブラジルで金鉱を発見し(1697年)、財政が潤うと共に政治が安定する


1755年 リスボン大震災

1807年 フランス軍ポルトガルへ侵攻、王家はブラジルへ避難

1814年 イギリス軍によるポルトガル支配

1820年 反英国革命(自由主義革命)、立憲王政の開始

1822年 ブラジル独立

1832年 内戦勃発(1834年まで)

1889年 ブラジル共和国誕生

1910年 王政終焉,ポルトガル共和国成立

1916年 第1次世界大戦に参戦

1925年 カルモナ将軍による軍事政権(共和制の崩壊)

1932年 独裁体制の開始
サラザール政権(~1968年)、カエターノ政権(1968年~1974年)

1949年 NATO加盟

1955年 国連加盟

1974年 4月25日 カーネーション革命(独裁体制の終焉、民主化)


カーネーション革命とは1974年4月25日に起こった軍事クーデターで、ヨーロッパで一番長かった独裁体制を無血で終わらせた
その時市民はカーネーションを手に兵士と交歓し、兵士は銃口にカーネーションを挿した
無血革命を記念し、リスボンに架かるヨーロッパで一番の長さを誇る吊り橋を4月25日橋と名付けられています


1986年 EC(後EUに発展)に加盟

1996年 ポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)に加盟(同年に設立。本部リスボン)

1999年 ユーロ導入(2002年から流通)


現在に至る



いや~、全く勉強不足で知りませんでしたが、ポルトガルが平和を手にしたのはそれほど昔の事ではなかったんですね

ほとんどガイドブックなどからの抜粋ですが、ポルトガルの歴史はこんな感じです

この後は固い事は抜きにして、ポルトガルの色々な魅力を伝えていけたらと思います


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   ザビエル三・連・発!


ザビエルくんはてっきりポルトガル人だとばかり思っていましたし、種子島に鉄砲伝来と共に来たものだとばかり思っていましたが丸っきり違っていました

あ~、勉強不足が露呈してしまいましたm(__)m




と、予習の意味を込めてこんなブログを制作していました

それが全てパーです



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ポルトガルの知識は全くありませんでした

行く前に少しはポルトガルの事を知らなければと思い、予習の意味を込めて製作していました

せっかく製作したのを削除するのは悲しすぎます

女々しいようですが、こんな形でアップしちゃいます


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最終日程表やツアーバッジまで届いていて、荷造りもほぼ終えて後は行くだけだったんですけどね・・・

昨年のベトナム、それと数年前のスイスは出発までに時間があってのキャンセルでした

あっ、ベトナム中部は強制キャンセルだけどね

今回は出発直前でのキャンセルです

実は節目の訪問国数となる国でした

まさにドタキャンです

初エミレーツでドバイ経由でリスボンへ飛ぶはずでした

しかも総2階建てエアバスA380の予定でした

それが全てパーです

キャンセル料も痛いけど、美味しいポルトガル料理が食べられないのもガッカリです

もちろんユーラシア大陸最西端のロカ岬に行かれないのも残念極まりないです

リスボアカードを買って気ままに市内観光をし、アレを食べようコレも食べよう

リベイラ市場で何を食べるかまで考えていましたからね

あと、あっちの展望台へ行こう、こっちの展望台へも登ってみよう

そんな風に思っていましたが全てパーです

諸般の事情で仕方なくキャンセルとは言え、あまりのショックで当分立ち直れそうにありません

今年こそは年初めから飛ばそうと思っていたのになぁ

3月にはシェムリアップ再訪の予定でしたが、それもパー

初っ端から飛ばすつもりが、いきなりまさかの大失速です

まるでいつも同じ番号で買ってたナンバーズ4が、買わない時だけ当たっていたような気分です(ToT)

いや~参った・・・

この記事へのコメント

2018年01月06日 22:36
《いつも同じ番号で買ってたナンバーズ4が、買わない時だけ当たっていたような気分》よくわかります~!その気分。本当にガッカリでしたね。そういう時ってありますよ、誰にでも。でも次はきっと大丈夫です。いつもいつもアンラッキーってあり得ないですもの。
2018年01月06日 23:00
ポルトガルだけじゃなく、カンボジアもキャンセルとは。
それは大ガッカリですよね。
事前の準備も万端だったのに。
ザビエル3連発に心の痛みが見て取れるようです。
悪い後には良くなるって言いますから、運気が上向くのを信じて、乗り切ってください。
2018年01月07日 00:23
それは、残念ですね。3月の旅行もキャンセルとは、何があったのでしょうか。
あまり詮索するのもなんですが、気になります。
特に、直前となると、もう行く気になってますからね、ゆけむりさんの気持ちは解りますよ。旅程表が何とも寂しい。
でも、生きていれば、また行けますよ。
なので、健康で、とりあえず、次に行ける時を夢見てガンバッテください。
ロンパパ
2018年01月07日 15:16
テルミのせいですか?
さすらいnurse
2018年01月08日 21:32
なんと!
そうだったのですか…
完璧な予習に 旅への強い期待を
感じてしまいました。
どうか元気を出して下さいませ。
2018年01月09日 12:06
アラッ・・・!それは、それは、残念ですね!

でも、楽しみをちょっと先延ばしにしたと考えて・・・元気であれば、ポルトガルへは何時でも行けますよ。

ザビエルさんは、それでも、リスボンにある52mの大航海時代を記念した記念碑「発見のモニュメント」に、エンリケ航海王子を先頭に、同時代の探検家や宣教師ら約30名のポルトガル人の中に誇らしげに並んでおられましたよ。 きっと、ポルトガル王ジョアン3世の依頼で世界宣教を続けたからでしょうね。

いつか、ゆけむりさんの「ポルトガル旅行記」がアップされるのを楽しみにしていますね。
2018年01月09日 21:32
こんなに詳しく調べたのに、非常に残念ですね、悔しいですね。
しかも、関西では一番(?)有名で、人気のある阪急交通社なのに・・・しかも、最近高くて我が家では乗れないエミレーツなのに・・・本当に、残念で、仕方ありません!

フランシスコ・ザビエルの、この絵は、誰でも知っていますよね・・・教科書に、確か、載っていますから。

ポルトガルが、日本の4分の1とは、知らなかったです・・・日本よりも、ちょっとだけ、小さいだけかと、勝手に思っていました。
2018年01月10日 06:15
残念ですね
前に1月に旅行の予約を入れたと言う記事があったので
私も旅行記楽しみにしていました。
でも行動力があるゆけむりさん。
頑張ってください。
2018年01月10日 10:15
普段にも増して力の入った解説記事でしたから掲載のお気持ちもわかるような気がします、勉強させていただきます

今回は旅行社でなくゆけむり家の要因、しかもゆけむりご自身の理由でもない模様(憶測ですが)、しかも3月の予定までキャンセルとは一過性でもありませんね

詮索するのはなんですが心配、というか気になるところであります
2018年01月11日 13:31
遅ればせながらゆけむりさん
明けまして…とは言えないご事情に、なんとも。。。
旅にでるといろいろありますが、こういうことが起こるのですね。
お気を落とさずに
通りすがり
2018年01月20日 23:21
晴れ着で何か有ったのかと思っちゃう
あの業者のせいで横浜のイメージが悪くなった
かぼちゃの馬車
2018年01月21日 12:26
嗚呼

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