ちょこっとカンボジア 8 ・ 古都ウドンにあったキリング・フィールド
カンボジア1発目の観光は、古都ウドンの仏教遺跡群からです
ウドンはプノンペンから40kmほど離れていて、1618年~1866年までカンボジアの首都でありました
かつてのカンボジア国王が建設した寺院や仏塔などの遺跡群が見られます
ただ、山の上にあって、石段を500段ぐらい登らなきゃならないんですよね・・・
こちはウドンの遺跡群の麓って言えば良いかな、下の広場にあったキリング・フィールドです
キリング・フィールドとは、ポル・ポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた刑場跡の俗称であります
画像がその時に虐殺された方々の慰霊塔です
中には虐殺された方々の頭蓋骨などが納められています
規模は小さく参拝する観光客もなく、ひっそりとそこにあると言った感じです
シェムリアップでキリング・フィールドを見る事ができなかったので、今回プノンペンにある有名なキリング・フィールドを見たいと思っていました
ポル・ポトの大量虐殺は、人類史上最悪と言っても過言では無いぐらい悲惨なものでした
知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害し、挙句の果てには眼鏡をかけているだけ教養があると見なされ容赦なく殺されたそうです
負の遺産として、また平和の尊さを再認識するうえでも見ておかなければいけないと思っていましたが、ガイドさんの説明を聞いている何とも言えないやりきれない気持ちになりました
現在のカンボジア国民は、必ずと言っていいぐらい虐殺された家族や親せきがいるとも言っていました
ガイドさん自身も数名の親戚が殺されたと話してくれました
実は今回の自由時間に、プノンペンのキリングフィールドを見学したいと思っていました
大量虐殺関連の施設に、有名な慰霊塔とトゥールスレン博物館2か所があります
どちらも日本語レシーバーによる詳しい解説が聞けると言う事でした
しかし今回どちらも行かれませんでした
なので、ウドンでキリング・フィールドを見る事ができ、説明を聞けた事はとても良かったと思っています
見る事ができなかったその2つの施設は、今後の課題としていつか絶対見たいと思っています
ちょっと重たい話になってしまいましたが、ウドンの近くはこんな感じです
う~、なんだか山寺か金毘羅さんを登るような気分ですよ
気温33℃、湿度も限りなく高い状態での500段越えの階段登りは非常に厳しい
そもそも、聞いてないよう~
ウドンはプノンペンから40kmほど離れていて、1618年~1866年までカンボジアの首都でありました
かつてのカンボジア国王が建設した寺院や仏塔などの遺跡群が見られます
ただ、山の上にあって、石段を500段ぐらい登らなきゃならないんですよね・・・
こちはウドンの遺跡群の麓って言えば良いかな、下の広場にあったキリング・フィールドです
キリング・フィールドとは、ポル・ポト政権下のカンボジアで大量虐殺が行われた刑場跡の俗称であります
画像がその時に虐殺された方々の慰霊塔です
ポル・ポト大虐殺
内戦時の1975年~1979年までポルポト政権は続き、極端な共産主義に走ります
その共産主義に邪魔になると考え、知識人は不要と考えました
都市部に住んでいる人々を全て農村部へ移住させ、国の再興の為に医師、教師、技術者、職人などに名乗り出てほしいと呼びかけました
国の発展の為にと呼び掛けに応じた人々はポル・ポトの元に集まり、知識人は不要との考えから虐殺されていきました
やがて虐殺の対象は芸能人や僧侶などにまで広がり、、わずか4年の間に国民の3分の1の300万人もの方が虐殺されたと言われています(※人数は諸説あり、170万人あるいは200万人とも言われています)
この悪魔の所業とも言える大虐殺は、今から40年ほど前に行われたました
中には虐殺された方々の頭蓋骨などが納められています
規模は小さく参拝する観光客もなく、ひっそりとそこにあると言った感じです
シェムリアップでキリング・フィールドを見る事ができなかったので、今回プノンペンにある有名なキリング・フィールドを見たいと思っていました
ポル・ポトの大量虐殺は、人類史上最悪と言っても過言では無いぐらい悲惨なものでした
知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害し、挙句の果てには眼鏡をかけているだけ教養があると見なされ容赦なく殺されたそうです
負の遺産として、また平和の尊さを再認識するうえでも見ておかなければいけないと思っていましたが、ガイドさんの説明を聞いている何とも言えないやりきれない気持ちになりました
現在のカンボジア国民は、必ずと言っていいぐらい虐殺された家族や親せきがいるとも言っていました
ガイドさん自身も数名の親戚が殺されたと話してくれました
実は今回の自由時間に、プノンペンのキリングフィールドを見学したいと思っていました
大量虐殺関連の施設に、有名な慰霊塔とトゥールスレン博物館2か所があります
どちらも日本語レシーバーによる詳しい解説が聞けると言う事でした
しかし今回どちらも行かれませんでした
なので、ウドンでキリング・フィールドを見る事ができ、説明を聞けた事はとても良かったと思っています
見る事ができなかったその2つの施設は、今後の課題としていつか絶対見たいと思っています
ちょっと重たい話になってしまいましたが、ウドンの近くはこんな感じです
う~、なんだか山寺か金毘羅さんを登るような気分ですよ
気温33℃、湿度も限りなく高い状態での500段越えの階段登りは非常に厳しい
そもそも、聞いてないよう~
この記事へのコメント
だからこそちゃんとした資料館などを見学したかったです
ベトナム戦争証跡博物館も行きましたが、あそこも本当に酷かったです
ただ、それらの悲惨な事を知る事により、平和の尊さやありがたさ、また大切さを再認識できると思うんです
原爆資料館を含め、各国の政治家やトップは見学すべきと思っています
ちょっと話はそれますが、鹿児島・知覧の特攻会館は行かれましたか?
若い少年飛行兵が特攻で飛び立つ前、達筆な字で辞世文をしたためるんですが、これが泣けるんです涙涙涙無しでは見る事はできません
それとお国の為に特攻したとありますが、ほとんどが愛するお母さんや家族の為に飛んだのが本当のところだそうです
もちろん最後は〇〇万歳ではなく、「お母さ~ん」だったそうです
更には韓国の若者も特攻隊として、日本の為に亡くなっているんです
この事実をもっと多くの国民が知れば、ネットでの中傷や国家間での今のような感情は少なくなると思っています・・・
http://yukemuri-manpuku.at.webry.info/201202/article_10.html
やはり日本人としてはグッと込み上げてくるものがありますよね
自分はただ食べるだけの旅行ではなく、歴史的負の遺産のような場所も見学すべきと思っています
ベトナム証跡博物館も行ったし、ベルリンの壁も見たし
いつかはアウシュビッツ強制収容所も行かなければと思っています
同時に西欧に発し人類が築き上げてきた「寛容」の尊さも。
araraさんへのレスには感動を覚えました。
特に後段は「寛容」に通じるように思われて。
自分が見聞きした中で、原爆以外ではベトナム戦争が悲惨だと思っていましたが、ポルポトの大虐殺は更に酷い気がします
また、内戦での地雷、命を奪わない程度の爆薬で半殺しにする
想像するだけで恐ろしくなります
でも避けて通れない事実なので、全人類は再び同じ過ちを犯さにようにしっかりと見るべきだと思っています
国が発展すれば、治安も良くなっていくのではないでしょうか、シンガポールの様に。
でもやはり目をそむけてはいけないと思うんです
プノンペン市内にはもっと大きなキリング・フィールドがあったり、トールスレン博物館と言う処刑場があります
残念ながら今回は見学できなかったので、またいつか絶対見たいと思っています
おっしゃる通り、今カンボジアは多くの観光客が来るようになり、それが大きな観光収入となっています
それとODAとかで街がドンドン近代化しています
でも都市部と農村部との格差は広がるばかりなので、その辺もなんとかできれば良いんですけどね・・・
ゆけむりさんに触発され、カンボジアの歴史を改めて紐解いてみました
ポルポトはありえないですよね、ナチスを上回るレベルではないでしょうか(ナチスの実証性は調べていないのですが)
最近中東やらアフリカの経緯も調べています
いずれも応仁の乱じゃないですが、細部調べるに値しないムチャクチャな状況だと解釈しました
ポルポトは酷いですよ
酷過ぎると思います
ちょこっと話を聞いただけでも極悪非道、まさに悪魔の所業と思ってしまいました
まぁナチスも酷いですけどね
やはり独裁者は悪人が多いですね
カッコつける訳ではありませんが、もう少しカンボジアの虐殺の事実を知る必要があると思っています
やっぱり、実際に、その場に行ってみないと、実感として感じられないでしょうしね。
そんでもって、街の雰囲気が良いですね。
特に、赤土のバイクの写真の風景は、大好きです。
写真を見てると、何処でも良いから、どこかへ行ってみたくなりましたよ。
負の遺産とは言え、やっぱりじっくり見たいですよね
いや、見るべきですよね!
プノンペンの一番大きなキリング・フィールドだと、ちゃんとにガイドレシーバーで解説が聞けるようなんです
いつかチャンスがあればと思っています
赤土の画像はカンボジアの片田舎の雰囲気が出てると思っています
何処でも良いから行きたいって気持ち、痛いほど分かりますよ
自分なんか頭の中は旅の事だらけですから(笑)