カンボジアの旅 7 ・ 貧しいけど豊かな国

カンボジアの一人当たりのGDPは、世界平均の10%に満たない水準であります

2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は828万人と推定されております

人口は約1470万人だから実に国民の半数を超え、国際連合による基準に基づき後発開発途上国に位置づけられています

また、地方では人口の9割が1日1ドル以下で 暮らす貧困層で、十分に教育を受けることができない子どもたちがたくさんいるそうです


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こちらはネットからお借りした画像ですが、子供たちは良い笑顔をしていると思いませんか?


電気もガスも無い家で生活しているのに、我々が思うほど貧しくは無い気がするんです


果たして物があるから幸せなんだろうか?


夜は8時ごろには寝ちゃって、朝は日が昇ると同時に目を覚ます


人間本来の生活リズムのような気がします








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これらはカンボジアの何気ない風景ですが、シェムリアップ中心部から少し離れた町の様子です


延々と続く田園風景を過ぎると、突如このような商店が集まった町が出現します



町には電気が多少来ているようです


しかし農村地帯の村は電線は通っているけど、電気は通っていない場合が多いそうです








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カンボジアの人々の底抜けに明るい笑顔


青い空と豊かな緑


インフラはキチンと整備されているとは言えないけれど、なぜだか活気ある町


貧しいはずなのに人々は豊かに見えるんです




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バスの車窓からカンボジアの風景を眺めながら、日本からそれほど遠くないアジアにこんな国がまだあったんだなぁと驚きました


それに比べ日本はどうなんだろう?


物質的豊かさは日本の方がはるかに上です


しかし金儲け第一主義の企業、自分の事しか考えていない政治家


利権に群がり儲かればなんだって良いんだろうか?


隙間産業的に広がった24時間営業の店も、今では当たり前


湯水のようにエネルギーを使いまくる


少しでも安い物を求める消費者、値崩れを恐れ豊作で採れすぎた野菜を捨てる農家


考えればキリが無い


カンボジアの風景を眺めながら、柄にもなくそんな事を考えていました・・・



貧しいのに豊かなと言う表現は変ですが、それは物質的な事でありません


上手く言えないが、心と言うか人間としての生き方と言ったら良いかなぁ?


もしかしたら生きていくのが精一杯かもしれない


でも悲壮感は感じない


そんなところがカンボジアの魅力かもしれない


ムヒカ大統領の名言があります


「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人の事だ」


ふとそんな言葉が頭をよぎりました・・・

この記事へのコメント

2016年11月17日 01:08
実際に、現地に行かれた、ゆけむりさんだから、出てくる話ですね。
カンボジアの人の生活水準は、金額的には、低いだろうというのは分かるのですが、改めて、聞くと不思議なんです。
ゆけむりさんの記事を読んでいても、明るい人が多いという印象を受けたので。
理由の1つは、南国だからというのがあるとは、これは思うんですね。
他の国を見ても。凍え死ぬこともないし、植物も育ちやすい。
ただ、穏やかな国民性は、どこからくるのかなと思います。
その辺のところは、やっぱり、行ってみて、私も肌で感じてみたいです。
そして、話も聞いてみたい。
どんな風に考えているのか。
ただ、もっと経済的にも、豊かになってほしいとは、思います。
カンボジアの人が、それを臨んでいると思うから。
そんでもって、日本の貪欲に走りすぎる今の人については、ゆけむりさんの、言う通りですよね。
穏やかな日々に満足できなくなった、精神の病を、みんな抱えていると思う。
2016年11月17日 15:14
人によって見方や感じ方は違うと思いますが、ガツガツ感が無いと言うか現状の生活に意外と満足しているように見受けられるんです
暖かい国だからと言う事もあるでしょうね
現地のガイドさんにもっとカンボジアの事を深く聞きたかったのですが、今回は聞くチャンスがあまりありませんでした
それと内戦関係の事も詳しく聞きたかったんですが、それもあまり聞けませんでした
だからこそもう一度行きたいなぁ~って思っていますよ
2016年11月17日 22:45
ゆけむりさんは、こども病院の近くを通りませんでしたか?私が行った時、物凄い人が病院の敷地外にいました。カンボジアでは、多くの子供たちが病院に行ける環境ではないのです。行けたとしても、長時間自分の番が来るまで外にいなくてはなりません。病院の前の光景を見た時、何とも言い難い気持ちになりました。こういったところに、日本からの支援が急務だと感じました。
2016年11月17日 23:30
こども病院の前は2~3回通りました
昼間も通りましたが、病院の前で多くの人が待っている事はありませんでした
日本からのODAはアメリカのほぼ倍近くで第1位だと記憶しています
州立病院や母子保健センターなどへも協力していると聞いています
もちろん地雷除去も官民共にに積極的に協力していますよね
医療に関しては、更なる一層の拡充が必要だし、多くの人が平等な医療を受けられるようになればと思っています

ただ自分が感じたのは経済的には厳しい人々なのに、その厳しさを感じさせないと言う印象を受けたんです
カッコ付けて言えば心が豊かと言うか、どこかの国の人のようにガツガツしていないと感じたんです
旅人さんはカンボジアの人々を見て貧しくて気の毒だなと感じましたか?
地雷で片足を失った人などは別ですが、一般的な人々を見て明るいし、なんだか充実した日々を送っているように感じたんです
会社の為に嫌な満員電車に詰め込まれ、それ相応に稼いでいるのに老後の心配をして使うのを躊躇う
何の為に働き何のための人生なのか分からない人が自分のまわりには多いので(以前は自分も同じでした)、カンボジアの人々を見て、貧しくとも人間らしい生き方をしているんではないだろうかと思っただけなんです・・・
2016年11月18日 05:11
上のコメントですが、それはシェムリアップにある子供無料病院のお話ではないでしょうか? スイス人の医師が開いている病院です。そこでは全く無料なので、いつもたくさんの人が並んでいました。彼は時々スイスに戻ってはスイス人から寄付を集め、またカンボジアに戻って治療しているそうで、スイスでは名のある医師です。

幸せそうなカンボジア人。湯煙さんの直感は当たっていると思います。きっと何もないけれど、だからこそ家族が一つにまとまって一生懸命に生きること、そこに幸せを感じているのではないでしょうか? お金があっても相続問題で親族同士が争ったり、訴えたりします。何が本当に幸せなのかという定義はむずかしいですが・・・・
2016年11月18日 11:49
この記事で言われてるような「幸せの尺度」について、
私が始めて意識したのは、
チュニジアに行ったときでした。
その後、トルコの地方(カッパドキアやコンヤの辺り、イスタンブールは少し違った)、
それから、このシェムリアップで、
同じような感覚を持ちました。
私も上手く表現出来ませんが、笑顔、表情の質(特に子供の)、
日本と全然違いますね。
民族性と言うのも有ると思いますが。
個人的には、身を粉にして働いて日本を成長させてくれた祖父・父世代に感謝しつつ、
そろそろ、人本来の心身の健康を大事にする国に変わる時期ではないかと、
思ってます。具体的にどうすれば良いか分からないけど。
2016年11月18日 14:39
ありがとうございますm(__)m
自分がまず第1に言いたいのが物質的豊かさ=幸せではないと言う事なんです
もちろん物質的な豊かさも大事でありますが、ささやかな夕食を家族一緒に食べる
araraさんが言われたように家族が一つになって手を取り合って生きる
ささやかではありますが、そこには人としての本来の幸せがあるような気がするんです
バスの中から見た人々からは貧しさは感じられず、むしろ生き生きしているように自分の目には映ったんですよね・・・

子供病院は無料で、しかもスイス人医師が尽力なさっていたとは全く知りませんでした
尊い事をされていらっしゃいますね
そんな話を聞くと、増々スイスが好きになってしまいます
2016年11月18日 14:58
ありがとうございますm(__)m
なるほど、チュニジアに行かれた時に「幸せの尺度」について考えられましたか
そしてトルコ、更にシェムリアップに行かれた時にも同じように思われたんですね
チュニジアには行った事ないので良く分かりませんが、トルコやカンボジアの子供の目や笑顔、またその表情などは今でもハッキリ覚えています
幸せの尺度や定義は人それぞれだとは思いますが、それでもささやかな事でも満足し、あるいは感謝して生きている
そんな事が彼らの表情に出ているような気がするんです
そろそろ、人本来の心身の健康を大事にする国に変わる時期ではないかと思ってますが、具体的にどうすれば良いか分からないとありますが、これは残念ながら日本では難しい気がします
本当に残念な事ですが、まだまだ我が国では自分さえ良ければいいと思っている人が多いような気がするんです
人間誰しも自分が可愛いですが、ほんのちょっと我慢したり、面倒だけどほんのちょっと時間をかけてゴミを分別する
一人一人がほんのちょっと未来の地球の事を考えてみる
てな生意気な事を言ってみたものの、果たして自分はどうか?
まぁ何一つできていないんですが、これだけは自信を持って言えます
会社の為に生きるのではなく、自分の人生を楽しむ為に良くて行く事は実践中です(笑)
なんだか間が抜けたまとめになっちゃいましたが、勘弁してね
2016年11月19日 19:08
私は現地を直接見た訳でないので憶測で物事を言うのはどうかと思うのですが

本編と直接繋がるかはわかりませんが、もしカンボジアの人々が幸福を感じているとすれば、もちろん気候や民族性、或いは宗教か文化かはわかりませんが、加えて創世記で言うところの禁断の果実を食べていないから、ということがあるのではないでしょうか?

最近では中国がこの例で、沿岸部の中産~富裕層の物質的生活水準が大きく上がってしまい、後戻り出来ないところまできたような気がします

そして中国でも、またアメリカでも、日本でも、近くに現実にそういう暮らしをしている人がいて、一方でそういう暮らしに程遠い人も多くいるところが、いわゆる格差社会として深刻な問題になっているような気がします

ネシア、タイ、ベトナムを中心に東南アジアでも工業化が進み、もしかしたらカンボジアも遠からず二次産業が活発化するかもしれませんが、そんな時にも今と同じメンタリティを維持出来るのかが焦点かと思いました

あくまで主観による私見ですm(__)m
2016年11月19日 22:11
実際にカンボジアの人々が幸福を感じているかは微妙ですが、少なくとも自分が思っていた以上に貧しくは感じなかったんです
むしろ厳しい現状なのに充実感があるような暮らしぶりに見えたんですよね
無邪気に遊ぶ子供たちは、もっとそう感じました

中国のように先進国に追い付け追い越せだと、どこかで弊害と言うかしわ寄せが来そうですよね身の丈を知ると言うと失礼な言い方になってしまいますが、まだ先進国の仲間入りができる心の成熟度や準備ができていないと言うのが現実ではないかと思ってしまいます

ベトナムなども日本の企業が進出し、工場が建設されてから暮らし向きはだいぶ変わったそうです
カンボジアもいずれそうなるような気もしますが、お金よりも大切な事を忘れないでほしいと思っています
難しいとは思いますけどね・・・
2016年12月06日 23:27
パンドラの箱を開けてしまったんでしょうね、我々は。
果てしない欲望を満たすために汲々として生きている。
まだ開けていない人こそ幸いなるかな。
カンボジアの人たちもいつか開けてしまうのでしょうね。
2016年12月07日 09:05
まぁ人類が発展していく上ではしょうがない事だと思いますが、発展していないから貧しくて可愛そうと決めつけるのは良くないような気がします
大陸のどこかの国のようにはならないと思いますが、カンボジアの人たちにはどこかほのぼのした心を忘れないでいてほしいですね・・・

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