カンボジアの旅 3 ・カンボジアってこんな国
カンボジア旅行記に入る前に、簡単にカンボジアって国を紹介します
まぁガイドブックの受け売りですが、なるほどって思っていただければ幸いです
正式国名:カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)
面積:18.1万平方キロメートル(日本の約2分の1弱)
人口:約1.470万人(2013年政府統計)
首都:プノンペン
公用語:クメール語(カンボジア語)
民族:人口の90%がカンボジア人(クメール人)
世界遺産:アンコール遺跡群、プレア・ヴィヒア寺院
カンボジアは電気をタイとベトナムから買ってる為に大変電気事情が悪く、電気が通っていない家も多く国民の9割は薪で炊事をしていると言われています
ソーラーパネルで溜めた電気で小さなランプを灯す家もありますが、郊外の村はほとんど真っ暗になります
旅行中に感じたカンボジアの物価ですが、缶ビールはスーパーで約0.5ドルです
ナイトマーケットの屋台では1ドルですが、レストランでは3ドルと言った設定でした
水はホテル&ツアー中にもらえたので、一切買っていないので料金は不明です
トイレは事情はさほど悪くはありませんが、遺跡内では無い場合もあるので入場前に済ますのがお奨めです
チップ制のトイレは1か所だけありましたが、総じてペーパーの無いトイレも多いので持参しましょう
物価は総じて安いので、ケチケチせずにチップをはずむつもりで楽しむのが良いと思います
ナイトマーケットからの帰りが遅くなりそうなときは、行く時に乗ったトゥクトゥクに待っていてもらうのが安心です
トゥクトゥクは夜風が気持ち良く、カンボジアに行ったら是非とも体験すべき乗り物です
カンボジアの歴史について簡単に説明します
カンボジア内戦について
ポル・ポトは170万人もの人々を虐殺したと言われています
虐殺された方は一説には200万とも300万とも言われ、当時の人口は800万人ほどだったと言うからその虐殺数の多さがどれぐらいのものだったか容易に想像がつきます
正確な死者数はわからないそうですが、この前代未聞の大量虐殺はわずか4年の間に行われたそうです
知識人と言われた人々にいたっては実に6割以上が殺され、国民に課せられた使命は農作業や土木工事などで、ひたすら黙々と働き続ける事だけだったそうです
カンボジアの地雷について
今回のカンボジア旅行では内戦関係の施設には行かれませんでした
負の遺産として忘れてはいけない事なので、絶対に見ておきたいと思っていました
残念ながら今回は触れる事が出来なかったので、次回の宿題としていつかは再訪しなければと思っています
ガイドブック等の受け売りですが、自分なりに簡単にまとめてみました
まぁガイドブックの受け売りですが、なるほどって思っていただければ幸いです
正式国名:カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)
面積:18.1万平方キロメートル(日本の約2分の1弱)
人口:約1.470万人(2013年政府統計)
首都:プノンペン
公用語:クメール語(カンボジア語)
民族:人口の90%がカンボジア人(クメール人)
世界遺産:アンコール遺跡群、プレア・ヴィヒア寺院
カンボジアはインドシナ半島の南に位置し、まわりをタイ、ラオス、ベトナムに囲まれ、南はタイ湾に面しています
メコン川が北から南へ500kmにわたり貫流し、ベトナムのメコンデルタへ続きます
中央平原にはアジア最大のトンレサップ湖があり、かつては国土の7割が森林で「森の国」とも呼ばれていました
最近は森林伐採が進み、現在は5割に減少したと言われています
しかし沿岸部には手つかずのマングローブ原生林が残り、貴重な自然生態系を維持しています
また、海岸線には天然の良港シアヌークヴィルがあり、近年この沖合で油田が発見され現在開発中となっています
カンボジアは電気をタイとベトナムから買ってる為に大変電気事情が悪く、電気が通っていない家も多く国民の9割は薪で炊事をしていると言われています
ソーラーパネルで溜めた電気で小さなランプを灯す家もありますが、郊外の村はほとんど真っ暗になります
カンボジア入国に際しビザが必要で、出入国カードもイミグレで提出します
出入国カードはパスポートにホッチキスで留められ、出国の際に回収されるます
通貨はカンボジアリアルKHRで、KHR100≒2円となります
アメリカドルが流通しているので、旅行者はアメリカドルの小額紙幣を多めに用意するのがベストです
時差は-2時間で、英語は観光地ではまぁまぁ通じます
治安は比較的安定していますが、貴重品はしっかり管理しなくてはなりません
旅行のベストシーズンは11月から1月ですが、近年雨季がズレて11月初旬は雨が残るようです
旅行中に感じたカンボジアの物価ですが、缶ビールはスーパーで約0.5ドルです
ナイトマーケットの屋台では1ドルですが、レストランでは3ドルと言った設定でした
水はホテル&ツアー中にもらえたので、一切買っていないので料金は不明です
トイレは事情はさほど悪くはありませんが、遺跡内では無い場合もあるので入場前に済ますのがお奨めです
チップ制のトイレは1か所だけありましたが、総じてペーパーの無いトイレも多いので持参しましょう
シェムリアップ市内にはほとんどタクシーは無く、旅行者の足はトゥクトゥクかバイクタクシーとなります
値段はもちろん交渉次第ですが、少々チップをはずんで安全な移動をする方が賢明です
電圧は220VでプラグはA型とC型、安ホテルでもAC兼用のコンセントが多いようです
物価は総じて安いので、ケチケチせずにチップをはずむつもりで楽しむのが良いと思います
ナイトマーケットからの帰りが遅くなりそうなときは、行く時に乗ったトゥクトゥクに待っていてもらうのが安心です
トゥクトゥクは夜風が気持ち良く、カンボジアに行ったら是非とも体験すべき乗り物です
カンボジアの歴史について簡単に説明します
1~2世紀頃インドシナ半島に扶南(1世紀から7世紀にかけてメコン川下流域からチャオプラヤーデルタにかけて栄えたヒンドゥー教・仏教の古代国家)が興り、港町オケオを中心に商業国家として栄える
6世紀頃扶南の属国であった真臘(初期のクメール人の 王国)が勢力を増し、7世紀前半には扶南を吸収し勢力を増します
その後802年にシャヤヴァルマン2世が国内を統一し、アンコール王朝を成立
アンコール王朝の最盛期は12世紀前半で、この頃アンコール・ワットを造営されたと言われています
13世紀には中国によるアユタヤ王朝の侵入で混乱が続き、16世紀~18世紀には中国やタイ、ベトナムの鑑賞で混乱が続いたそうです
1863年にフランスの保護領となり、1941年にシアヌーク国王が即位
第2次世界大戦中の1945年に独立宣言を行うも、日本の敗戦で再びフランスの保護領となる
その後シアヌークは粘り強く独立運動を続け、1950年に完全独立を果たします
カンボジア内戦について
1960年代シアヌーク王は米国との断交を宣言
1970年に親米家のロン・ノルがクーデターを起こし、クメール共和国を樹立します
これに対しシアヌーク王を擁護した共産主義勢力(後のクメール・ルージュ)が、ポル・ポトを中心にロン・ノルに対抗すべく内戦が勃発します
1976年にポル・ポトは首相に就任し、私有財産の没収、農村での強制労働、知識人の虐殺を行います
ベトナムの支援を受けて結成されたヘン・サムリン率いるカンボジア救国民族統一戦線がプノンペンを制圧し、クメール・ルージュはタイ国境近くに敗走します
1982年にはヘン・サムリンに対抗してシアヌーク派、ソン・サン派、クメール・ルージュの三派連合政府(クメール人民民族解放戦線)を樹立し内戦が激化
1991年に4勢力の当事者と18か国が集まり和平協定が結ばれ、内戦は終結しました
1993年にシアヌークは再びプノンペンに戻り国王になり、2004年に子供のノロドム・シハモニが王位に継ぎました
ポル・ポトは170万人もの人々を虐殺したと言われています
虐殺された方は一説には200万とも300万とも言われ、当時の人口は800万人ほどだったと言うからその虐殺数の多さがどれぐらいのものだったか容易に想像がつきます
正確な死者数はわからないそうですが、この前代未聞の大量虐殺はわずか4年の間に行われたそうです
知識人と言われた人々にいたっては実に6割以上が殺され、国民に課せられた使命は農作業や土木工事などで、ひたすら黙々と働き続ける事だけだったそうです
カンボジアの地雷について
1980年代のポル・ポトによる内戦時に、カンボジア全土に大量の地雷が埋められました
この地雷はそもそも殺りくを目的としておらず、あえて死なない程度の破壊力だったそうです
すなわち、殺さずに片足程度だけに損傷を与える事が主たる目的だそうです
傷つきながらも生きて帰す事で、地雷の恐怖を多くの人が目にするようになります
その恐怖を目の当たりにする事で地雷への恐怖を植え付け、相手の戦意を失わす事が目的だったそうです
まさに悪魔の兵器、悪魔の所業と言わざるを得ませんね
現在も国境付近などに多くの地雷が埋まっていますが、観光地などでは地雷の心配は無くなっています
今回のカンボジア旅行では内戦関係の施設には行かれませんでした
負の遺産として忘れてはいけない事なので、絶対に見ておきたいと思っていました
残念ながら今回は触れる事が出来なかったので、次回の宿題としていつかは再訪しなければと思っています
ガイドブック等の受け売りですが、自分なりに簡単にまとめてみました
この記事へのコメント
カンボジア内戦についてのまとめも、大変分かりやすかったです。
今後の展開、非常に楽しみに読ませて頂きます。
遺跡も見てみたいし、クメールルージュのことも、その足跡を見てみたい。
それよりも、まだ地雷が、全部撤去されていないそうですね。
これって、不安だろうなと思います。そんなことも、こんなことも、実際に行ってみないと分からないんですよね。
本当は内戦関係の資料館にも足を運ぶつもりでしたが、予定がだいぶ狂ってしまいました
是非とも見たいのでいつか再び行かなくてはと思っています!
ツアーで行くレストランなら5ドル紙幣や10ドル紙幣でもおつりはドルで来るケースが多いですが、なるべく1ドル紙幣をいっぱい用意して行って下さいネ
観光で行くところに関しては、地雷の心配は全くありません
でももしかしたら埋まっている可能性がある場所は、ちゃんと看板が出ています
遺跡が好きな方にとっては絶対お奨めできる国です
実は遺跡以外にも素晴らしい見どころがあるんですが、一般的なツアーでは含まれていないケースが多いようです
初インド一人旅を個人手配で行かれた凡蔵さんなら、カンボジアの1人旅はちょろいと思います
現地ツアーも格安であるし、トゥクトゥクもかなり安価でチャーターできるようです
治安も良いしインドほど暑くないですしね(笑)
ポルポト派は、いまだ記憶に新しいです・・・でも今は、治安は安定しているのですね。
カンボジアって、ツアーは多いですか?
観光客向けのホテルは、多いですか?
最悪ですね
このころ国連は何をしていたんだと腹が立ちます
今はかなり安定していて、観光は安心してできます
カンボジアのツアーはかなり人気で、数も多いのでお安いツアーがたくさん出ています
カンボジア自体観光による収入に頼っているのですが、シェムリアップに関してはほとんど観光収入だけと言っても過言ではないと思います
それゆえ観光客のホテルは数多く、リゾートホテルのような豪華なホテルもけっこうありますよ!
厳しい歴史を経てきたことを考えると、
国旗を見るだけで、ちょっと泣けてきちゃいます
カンボジアの電気事情はしりませんでした、他国から融通しなくてはならないのですと不便ですね
そして、小さい頃はカンボジアが世界一不幸で悲惨な国と思っていましたが、隔世の感がありますね
我々ですとぎりぎりリアルな歴史として記憶に残っています
所々に国旗がなびいていて、ようやくカンボジアに平穏が訪れてんだなって思いました
ガイドブック等には詳しく内戦の事は載ってないので、是非とも自分の目で見たいと思っています
ネットでちょっと調べただけですが、相当ひどかったようですよね(T_T)
でも、参考までに1人当たりの名目GDPだと対象国188か国中156位で1,144.49ドルです
アジアでは2番目の貧困国と言われています(一番はネパール)
まぁこの辺の事も詳しくアップするつもりですので、その項でまたお話ししますね!
ポル・ポトの虐殺だけは記憶に残っていますが、他はほとんど知りませんでした。
今の平和が続いてほしいものです。
そしていつかすべての地雷が撤去されてほしいものです。
これは次回の宿題です
地雷撤去にも日本の企業がお手伝いしているようですが、数が多過ぎてなかなか全て撤去するのはまだ先のようです