ドイツ&チェコの旅 4 ・ カタールってこんな国
箱根旅行記が一段落したので、ようやくドイツ&チェコ旅行記を再開します
ドイツ&チェコなのに、なぜカタールなのかもう一度簡単に説明します
羽田~ドーハ、そしてフランクフルトへ向かう予定でした
でも羽田での出発が遅れ、残念ながらトランスファーできませんでした
要するに、乗り継ぎに失敗したって事です
次の便は約18時間後、ふてくされていてもしょうがありません
なので気持ちを切り替え、待ち時間を利用してドーハ市内観光をしちゃったて訳です!
※ 最近は便宜的に乗り継ぎの事をトランジットと言うケースが多いようです
正式国名はカタール国(State of Qatar)
紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物が見つかり、ペルシア湾での真珠採取の産地として古代から知られて来たそうです
ですが、その後近代までの歴史は不明だそうですが、18世紀から19世紀にかけてクウェート、アラビア半島内陸部の部族がカタールに移住し、現在のカタールの部族構成が成立しました
1916年に英国の保護下にり、1968年英国の軍事撤退、1971年9月3日カタール独立
国旗は横長の珍しいタイプで、その比率は28:11となっています
面積は11,427平方キロメートルで秋田県よりもやや小さい面積です
首都はドーハで、人口は約226万人です
公用語はアラビア語で、イスラム教が国教となっています
カタール国籍の人は全人口の18%ほどで、あとは南アジアからの労働者だと言われています
ちなみに時差は日本とは-6時間です
国土の大部分は砂漠で、この砂漠の地下にドゥハーン油田があります
そして、カタール半島北東からイラン方向の海底には、世界最大級のノースガス田が広がっています
経済は石油と天然ガスに依存し、輸出の大半が石油・天然ガス及びその関連製品で占められています
豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからず、さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、なんと10年後には自分のものとなるそうです
カタールの年降水量は40mm前後ととても少なく、夏期には気温が45℃を上回ることもあります
一方、10~4月は比較的過ごしやすく、1月の平均気温は16℃前後と意外と涼しくなるようです
カタールは世界一裕福な国と言われています
その一方、首都であるドーハは世界一退屈な街と言われています
世界一退屈な街から脱却しようと、ドーハにはカタールの潤沢な資金が注がれています
世界で最も発展スピードが早い都市の一つと言われ、ドバイやアブダビに追いつけ追い越せと急ピッチで進められる都市計画で、真珠をモチーフにした巨大なリゾート島を建設しました
と、ここまでは外務省のHPや、ウィキペディア、地球の歩き方の情報を抜粋しました
※ 画像は某サイトより拝借しましたm(__)m
空港を出て感じた事は、意外と車が走っていません
凝ったデザインと言うか、ハッキリ言って変なビルが目立ちます
おお、遠くに近未来的な都市が見えてきました


ドイツ&チェコなのに、なぜカタールなのかもう一度簡単に説明します
羽田~ドーハ、そしてフランクフルトへ向かう予定でした
でも羽田での出発が遅れ、残念ながらトランスファーできませんでした
要するに、乗り継ぎに失敗したって事です

次の便は約18時間後、ふてくされていてもしょうがありません
なので気持ちを切り替え、待ち時間を利用してドーハ市内観光をしちゃったて訳です!
正確にはトランスファーは目的地でない空港に着陸し、違う飛行機に乗換えて目的地へ向かう事です
それに対しトランジットは、燃料や食糧を補給するためにいったん着陸し、再び同じ飛行機で目的地に向けて飛び立つ事です
※ 最近は便宜的に乗り継ぎの事をトランジットと言うケースが多いようです
正式国名はカタール国(State of Qatar)
紀元前3000年から紀元前2000年頃の遺物が見つかり、ペルシア湾での真珠採取の産地として古代から知られて来たそうです
ですが、その後近代までの歴史は不明だそうですが、18世紀から19世紀にかけてクウェート、アラビア半島内陸部の部族がカタールに移住し、現在のカタールの部族構成が成立しました
1916年に英国の保護下にり、1968年英国の軍事撤退、1971年9月3日カタール独立
国旗は横長の珍しいタイプで、その比率は28:11となっています
面積は11,427平方キロメートルで秋田県よりもやや小さい面積です
首都はドーハで、人口は約226万人です
公用語はアラビア語で、イスラム教が国教となっています
カタール国籍の人は全人口の18%ほどで、あとは南アジアからの労働者だと言われています
ちなみに時差は日本とは-6時間です
国土の大部分は砂漠で、この砂漠の地下にドゥハーン油田があります
そして、カタール半島北東からイラン方向の海底には、世界最大級のノースガス田が広がっています
経済は石油と天然ガスに依存し、輸出の大半が石油・天然ガス及びその関連製品で占められています
豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからず、さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、なんと10年後には自分のものとなるそうです
カタールの年降水量は40mm前後ととても少なく、夏期には気温が45℃を上回ることもあります
一方、10~4月は比較的過ごしやすく、1月の平均気温は16℃前後と意外と涼しくなるようです
カタールは世界一裕福な国と言われています
その一方、首都であるドーハは世界一退屈な街と言われています
世界一退屈な街から脱却しようと、ドーハにはカタールの潤沢な資金が注がれています
世界で最も発展スピードが早い都市の一つと言われ、ドバイやアブダビに追いつけ追い越せと急ピッチで進められる都市計画で、真珠をモチーフにした巨大なリゾート島を建設しました
と、ここまでは外務省のHPや、ウィキペディア、地球の歩き方の情報を抜粋しました
※ 画像は某サイトより拝借しましたm(__)m
空港を出て感じた事は、意外と車が走っていません
凝ったデザインと言うか、ハッキリ言って変なビルが目立ちます
おお、遠くに近未来的な都市が見えてきました

この記事へのコメント
暑いだけなのかと思っていましたが、意外に涼しい時期もあるんですね~。
変わったビルと言う表現がぴったりのビルですね~
続きのアップも楽しみにしておりますよ~‼
有り難いです
紀元前2000年頃から近代までの歴史が不明…
長いこと遊牧民がフラフラしてた、中継地みたいなもんだったんですかね。
今は、UAEに似た風景。
リゾート島もドバイ風ですね!
車窓から見た街並みは、生活感ゼロじゃなかったですか?
異空間って感じですよね。
中にはアノ騒動のザハ氏デザインのビルもあるらしいです
ビルが建っていない所は微妙に砂漠っぽい砂がむき出しの工事中的な感じだったし、そもそも人が歩く気温じゃありませんでしたしね
あっ、そうそう、1800年代の後半はバーレーンが一部を占領していて、その後オスマン帝国の占領下になっていたそうです
遊牧民はどうだったんでしょうかね?
らくだがウロチョロしている地区はあるようなんですけどね
ハイ、行った事ないけどドバイっぽい感じです
お金に物を言わせて近未来的な都市を造っちゃった感じですよね
実はある条件が揃えばドーハ市内観光が無料でできる事が判明しました
その辺もアップしますので、チャンスがあったら是非ドーハ市内観光に参加してみて下さいネ!
資源国特有でこれからどうなるかはわかりませんが、福祉がすべて税金で賄われるのは羨ましいですね
消費税にせよ、タバコ税にせよ、320円にブッとんだ横浜新道の料金にせよ、理不尽だなんだと言っても結局はカネですものね(笑)
市内観光が楽しみです
資源と人口の格差ですね。
マハトマ・ガンジーが若い頃に南アフリカにいたことを連想しました。
ぜんぜん知らかなったカタールのことが多少なりともわかって勉強になりました。
でも長期的にどうなんでしょう?
国家100年の計があれば、お聞きしたですよね。
どうしても日本の現状と比較してしまいます。
成功したんだか、失敗したんだかわからないアベノミクス。
(自分の評価ははっきりしてますけどねw)
最高学府の法学部は出ていても、法律以外の規範が世の秩序を成り立たせていることを知ってか知らずか、恥知らずに無視するガバナーが首都に居座る国。
どっちが幸せなのか。
いや、不幸なのか。
最近、ちょっとシリアスになってます。
すみません。
楽しかるべき旅の記事にこんなこと書いて。
原油の埋蔵量は30数年~40数年と言われているようですが、天然ガスは100年以上は大丈夫と言われているそうです
横浜新道の値上げは納得できませんよね
タダになるどころか逆に値上げ
しかも第3からの流れから、半分ほどの狩場で降りても同料金
おかげで1号線の狩場や権太坂付近、あるいは平戸~不動坂の渋滞が多くなった気がします
後は駐車場係、色々な施設の案内人、トイレ掃除やホテルのルームキーパーなどなど
そもそも純粋なカタール人らしき人が働いている姿自体あまり見かけなかったんですよね
あっ、アラビアンマーケットでアラブ人っぽい人が働いているのは見ましたが、正確には何人は確認できませんでした・・・
今話題の人のセコさには、呆れて物が言えないってのが正直な感想です
もはや滑稽と言うか、必死でお門違いな言い訳する姿を見ていて可哀想というか、気の毒過ぎて笑っちゃいますよ
近代稀に見る ”痛い知事”ですね(笑)
あっ、マスコミや都議会の追及のゆるさにも腹が立ちますけどね