クロアチアの旅 26 ・ 世界遺産スタリ・モスト (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、そこは異国情緒が漂う街に有名な石橋があります
ネトレヴァ川の両岸に広がるトルコ風の街、そこに架かる橋は民族融和の象徴でもあります
ジャ~ン、世界遺産スタリ・モストで~す


当時は画像右側がムスリムの方々、左の街がクロアチア系キリスト教徒が住んでいたそうです
※ 正確にはこの橋を中心とした周辺一帯が世界遺産に指定されました
下から見るとこんな感じ
なかなかガイドブックのような良いアングルで撮影できません
夏は橋の中央から川へダイブする度胸試し的なイベントが有名だそうです
飛び込む勇気はないけど飛び込むところを見たい人の為に、有料で代わりに飛び込む商売もあるそうです(笑)
穏やかな街の風景ですが、どことなく寂しい感じもします
コスキ・メフィド・パシャ・モスク、川沿いに立つミナレットが良い感じでしょ?
スタリ・モストの東側にはオールド・バザールがあり、土産店やカフェが軒を連ねます
トルコ料理屋さんでチャイを!
先ほどのビールよりもお高く、2ユーロでした

小さな川と可憐な白い花、そして壁に残された無数の銃弾の跡の対比が何とも悲しいです・・・
紛争後に建てられた教会でしょうか?
現在はムスリムの方や、異なる民族との共存できているようですね
これが当たり前の世の中になる事を願いたいですね・・・

ネトレヴァ川の両岸に広がるトルコ風の街、そこに架かる橋は民族融和の象徴でもあります
ジャ~ン、世界遺産スタリ・モストで~す



当時は画像右側がムスリムの方々、左の街がクロアチア系キリスト教徒が住んでいたそうです
1991年に勃発した旧ユーゴスラビア紛争に伴うボスニア紛争(民族紛争とも呼ばれるこの内戦)では、領土内に住むクロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民により血を血で洗う抗争が繰り広げられました
民族が入り混じるこの町は泥沼の戦いに巻き込まれ、多くの住人が命を落した悲しい歴史があります
※ 正確にはこの橋を中心とした周辺一帯が世界遺産に指定されました
下から見るとこんな感じ
なかなかガイドブックのような良いアングルで撮影できません

川幅が最も狭くなる場所に架けられた木製のつり橋が1566年に石橋になりました
高さ21m、長さ29mで、両岸に住む人の生活には欠かす事ができない橋でしたが、1993年にボスニア紛争の砲撃で破壊されました
ユネスコや民間の援助で往時のまま復元、2005年に世界遺産に登録されました
夏は橋の中央から川へダイブする度胸試し的なイベントが有名だそうです
飛び込む勇気はないけど飛び込むところを見たい人の為に、有料で代わりに飛び込む商売もあるそうです(笑)
穏やかな街の風景ですが、どことなく寂しい感じもします

コスキ・メフィド・パシャ・モスク、川沿いに立つミナレットが良い感じでしょ?
スタリ・モストの東側にはオールド・バザールがあり、土産店やカフェが軒を連ねます
トルコ料理屋さんでチャイを!
先ほどのビールよりもお高く、2ユーロでした

小さな川と可憐な白い花、そして壁に残された無数の銃弾の跡の対比が何とも悲しいです・・・
紛争後に建てられた教会でしょうか?
現在はムスリムの方や、異なる民族との共存できているようですね
これが当たり前の世の中になる事を願いたいですね・・・
この記事へのコメント
チャイの方が高いのですね・・・ビールよりも、ミネラルウォーターの方が高かったフランスを思い出しました。
でも、こういう場所で飲むチャイは、格別ですよね。(^^♪
街の様子が、すっごく魅力的です。
その傷跡が生々しく残っているのですから、物見遊山で来て良いものか考えさせられました
ハイ、チャイは美味しかったです
ローカルビールも良いですが、たまにはのんびりお茶するのも良いもんですね!
下から撮られた橋の写真などは、橋の全景がよく分かります。
また、橋周辺の街の様子などもよく分かりました。
黒柳徹子さんも子供達の支援のために行かれた番組も見ました。
子供達が犠牲になるのは悲しいです。
でも、美しい景色ですね。
悲しい歴史があるからこそ、静かな美しさ見せているのでしょうね。
平和ボケのけい婆(baba)としては、戦いはいやです。
イスラム国も早くなんとか沈静化して欲しいです。
平和なヨーロッパに行きたいです。
自分としては橋の画像よりも川沿いに立つモスクの写真が気に入っています
所詮素人ですから、まぁ頑張ってもこんなもんでしょうけどね
しかもおバカ丸出しで旅先では美味しい物を食べる事を中心に考えていましたし、単純に雄大なアルプスが見たいとか、エッフェル塔に上りたいと思うだけでした
負の遺産を見たり、その背景について知ったり考えたりする事はありませんでしたよ
1991年の湾岸戦争はもちろん覚えていますが、正直言ってエンターテイメント的な不謹慎な目で見ていましたからね
そうですか、当時は橋が壊された様子をドキュメンタリーで見られたんですね
なるほど、黒柳さんも子供たちの支援の為現地に行かれたんですね
そのころ自分にももう少し世界情勢に関心があったらと、後悔するやら恥ずかしいやらです
おっしゃる通り、早くイスラム国を何とかしてほしいですよね
また、そのような事が起きる背景についても西側諸国と言うか、先進国は考え配慮すべきですよね
そしてどこの国へも安全で行かれるような世の中になってほしいですよね!
私も数年前にボスニア・ヘルツェゴビナに行っています。
そして世界遺産のスタリ・モスト橋を絵に描きました。
橋の近くに画廊があり、こちらでは小さな絵を購入
玄関に飾っています(*^^)v
懐かしくて記事を見ながらいろんな事を思い出しています。
壁の傷跡は悲しいですね
言葉が見つかりません
平和に幸せに暮らしてほしいと願います
橋の絵を描かれたんですか?
絵心があって羨ましいです
橋の近くに画廊もあったんですか?
全然気が付きませんでした・・・
ちょっとどんな絵があるのか、お店を覘いて見たかったです
一見すると今は平和なので、その平和がいつまでも続く事を願います
銃弾の跡が生々しいでしょ?
こんなのを見ると色々と考えさせられてしまいます・・・
5枚目の画像は写真と言うより絵のようですね。
2枚目の画像は川岸に降りて撮影されたんですね。
河岸の傾斜は緩やかなのに、水深はけっこうあるんですね。
飛び込めるということは。
などと、妙なところに感心してしまいました。
弾痕は言葉よりも雄弁に紛争の悲惨さを物語っていますね。
二度と繰り返さないでほしいです。
柔らかな日差しが木々を照らし、その下は日陰と言うちょうど良いタイミングでした
自分自身も気に入っています(^_^)/
橋からの飛び込みは夏の行事だそうです
>弾痕は言葉よりも雄弁に紛争の悲惨さを物語っていますね
銃痕の画像で伝えたかった戦争の悲惨さや、繰り返してはならぬと言う思いを共感していただきありがとうございます
石造りの建物が多いですが地震は少ない地域なのでしょうか? ユーゴかどこかで昔大地震ありませんでしたっけ?
搭と水面がとても綺麗に撮れた写真ですね、日差しのコントラストがとても素敵だと思います
震源地がコソボの南側だったの、ここら辺はそれほど被害は無かったのかと思います
もっとさかのぼって1667年にドゥブロヴニクを中心とした大きな被害が出た大地震があったそうです
けっこうこの辺りも大きな地震にみまわれているようですね・・・
写真は自分もけっこう気に入っています
深い川のようで、けっこう水の色が青っぽかったんです
それと共に日差しが柔らかでタイミングが良かったです!
壁の弾痕はわざと残しているのですか?
暮らしてる方々の気持ちを思うと、複雑です。
お土産屋さんの雰囲気もトルコに似てるけど、さすがにナザルボンジュ(青い目玉のやつ)は売ってませんね!
ほんのちょこっとお茶する時間がありました
多分ですが、財政が厳しいのではないでしょうかね
なので、修復して使える建物はそのまま使ったいるんだと思います
道路もキチンと整備されていない部分もあったりします
え~と、実は青い目玉ちゃんちゃんと売っていました
場所によっては韓国の魔除けでもある、赤い唐辛子のストラップ風のも売っていましたよ
あと、写真は撮りませんでしたが、自動小銃の弾丸を使ったお土産類も数多く売っていました・・・
スプリットにも結構残ってたけど、こっちの方が生々しい。
二度と戦争してほしくないです…
このような戦争は本当に無くなってほしいですよね・・・