クロアチアの旅 25 ・ 美しき古都モスタル (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
オスマン時代の石橋とオリエンタルな旧市街モスタル、そこはまるでトルコに来たような錯覚に陥ります
ネトレヴァ川の両岸に発展したモスタルはヘルツェゴビナの中心都市で、古くから交易で栄えた街です
15世紀中ごろにオスマン帝国の支配下となり、軍事の要衝としても発展しました
名前の由来はスラブ語のモスト(橋)と言われ、街の中心に架かる橋は数百年にわたりシンボルとして愛されてきました
内戦で破壊された橋はユネスコなどの協力で往時の姿に修復され、2004年に平和の象徴として復活しました
そしてその周辺一帯は、2005年に世界遺産に登録されました
これはその平和の象徴の橋の上から写した画像です
なかなか良いでしょ?
けっこう気に入っている写真です
レストランを出て橋の方向に歩きます
ねっ、トルコ風でしょ?
橋のたもとには93年を忘れるなの石碑があります
これは1993年はボスニア紛争によって、街のシンボルである橋が破壊された年であります
すなわち、2度と戦争を繰り返してはいけないと言う、市民の強い願いでもあります
何百年も前ならいざ知らず、自分が海外旅行にうつつを抜かしていたり、家系ラーメンだとか言って喜んでいた時、この街の人々は戦争で死の恐怖に苦しんでいたとは・・・
別の機会に紹介しますが、無数の銃弾の跡が残る街に物見遊山で来て良いものなのか?
カメラ片手にニコニコしながらやってくる我々観光客に対し、街の人はどんな気持ちなんだろう?
例えは子供っぽいですけど馬に乗って攻めてきた時代と、空爆や自動小銃で攻めてくるのとは違いますからね
起きてしまった過去は書き換えられないのですから、せめてこれらの事を教訓に争いが無くなる事を願わずにはいられません
石づくりの街と碧い水の川、そして豊かな緑に囲まれた美しい街だけに、そのギャップが何とも言えない気持ちになりました・・・

ネトレヴァ川の両岸に発展したモスタルはヘルツェゴビナの中心都市で、古くから交易で栄えた街です
15世紀中ごろにオスマン帝国の支配下となり、軍事の要衝としても発展しました
名前の由来はスラブ語のモスト(橋)と言われ、街の中心に架かる橋は数百年にわたりシンボルとして愛されてきました
内戦で破壊された橋はユネスコなどの協力で往時の姿に修復され、2004年に平和の象徴として復活しました
そしてその周辺一帯は、2005年に世界遺産に登録されました
これはその平和の象徴の橋の上から写した画像です
なかなか良いでしょ?
けっこう気に入っている写真です
レストランを出て橋の方向に歩きます

ねっ、トルコ風でしょ?
橋のたもとには93年を忘れるなの石碑があります
これは1993年はボスニア紛争によって、街のシンボルである橋が破壊された年であります
すなわち、2度と戦争を繰り返してはいけないと言う、市民の強い願いでもあります
何百年も前ならいざ知らず、自分が海外旅行にうつつを抜かしていたり、家系ラーメンだとか言って喜んでいた時、この街の人々は戦争で死の恐怖に苦しんでいたとは・・・

別の機会に紹介しますが、無数の銃弾の跡が残る街に物見遊山で来て良いものなのか?
カメラ片手にニコニコしながらやってくる我々観光客に対し、街の人はどんな気持ちなんだろう?
例えは子供っぽいですけど馬に乗って攻めてきた時代と、空爆や自動小銃で攻めてくるのとは違いますからね
起きてしまった過去は書き換えられないのですから、せめてこれらの事を教訓に争いが無くなる事を願わずにはいられません
石づくりの街と碧い水の川、そして豊かな緑に囲まれた美しい街だけに、そのギャップが何とも言えない気持ちになりました・・・
この記事へのコメント
その橋の事は、以前はニュースで見たことがあります。
戦争の傷跡が、街中だけでなく、人びとのこころにも残っているのでしょうね。
けい婆(baba)も、平和ボケしているのを反省しちゃいますね~、
でも、ISISも早くなんとかしてほしいです。
そうじゃないと、海外旅行行き先限られちゃいますよね~
ここも気になっていた世界遺産でした。
詳しく紹介して頂いてありがとうございました。
おっしゃる通りでして、ここのガイドさんは戦争のあらましを説明してくれましたが、これ以上は悲しいのでゴメンサイと言いました
その時の表情がなんとも印象的でしたよ・・・
やはり国連がもっと紛争解決に力を発揮してほしいですよ
お前は何も分かってないと言われそうですが、United Nations→国連は、世界の警察的な力を持ち、ISISなどは断固とした措置を取ってほしいもんです
またそれらとかかわる国などにも強い姿勢で臨んでほしいものです
自分はまだ行っていない国がたくさんあるから選択肢に困りませんが、それでもテロの影響やまたテロが起こるかもしれないとフランスなどは考えちゃいますよね
トルコだって例の撃墜事件後は安全とは言えないですよね
安心して色々な国へ旅できる世の中になってもらいたいものですね・・・
悲惨な戦争など負の遺産を見る事も、大袈裟に言えば人としての義務のような気がするんです
一人一人がそれらを教訓にすれば、おのずと平和な世の中になる気がするんですけどね・・・
ニコニコとカメラを持って。。。
争いの傷跡を見るために行くわけじゃないでしょうし
悲壮な面持ちで来られるより良いと思います
あの場の空気と言うか雰囲気と言うか、複雑な歴史を背負ってきたボスニア・ヘルツェゴビナ人々は、彼らから見たら安全で豊かな国の日本人がどう映るんだろうとふと思った訳です
上手く伝えられないので、あまり気にしないで下さいね・・・
ありきたりの言い方ですが、絵葉書のようです。
商店の様子はまったくオリエンタルですね。
中東・近東は行ったこと無いので憧れます。
> カメラ片手に
沈痛な面持ちをすれば良いということでもないでしょうし、難しいですね。
昔ドイツ統一以前の国境を見に行った時のことですが、ニコニコしてたら、案内してくれたドイツ人の友達に「ここは笑うべき場所ではない」と言われてしまいましてね。
それを思い出した次第です。
自分でも良く撮れたと満足しています!
自分はもう一度イスタンブールに行きたいと思っています
そんなイスタンブールほどではありませんが、オリエンタルな雰囲気があります
なるほど、統一前のドイツ国境に足を運ばれたんですね
今となっては非常に貴重な体験ではないでしょうか?
とても羨ましいです!
どんな状況だったのか、是非とも詳しくお話を聞かせていただきたいです
ここは笑う場所ではないとおっしゃったドイツの友人のお言葉、なんとなく分かる気がします
やはりオリエントと呼ばれる世界でまず行くべきはイスタンブールでしょうかね。
行ってみたいです。
ドイツ国境の話ですが、もちろん西側から行きました。
西ドイツ人の友人と2人です。
一種の観光スポットのようなところだったようで、自分たちと同じような見物人が大勢いたように記憶しています。
東側には監視塔が建てられていて、中に銃器を携えた見張りがいました。
狙われれば確実に撃ち抜かれる距離でした。
実際、東側から脱出を試みた人が射殺されたそうです。
それを背景に写真を撮ってもらったのですが、自分がニコニコ顔をしたら、「笑うところではない」と窘められたのでした。
大いに恐縮でした。
朝と夕方に流れるアラビア語?のコーランが、なんとも言えない雰囲気を醸し出しています
食べ物も美味しいのが色々ありますが、トルコのビールもこれまた美味しいんです
西側から国境近くへ行かれたんですね
なるほど東側には監視塔ですか
東西ドイツの緊張を肌で感じる事ができたんですね
撃たれるかもしれない距離ってのは緊張感がありますよね(^_^;)
笑う所ではないとたしなめられたようですが、ドイツの方にとっては複雑な思いの場所だって事がよく分かりますね
それにしても本当に貴重な体験をされましたね!
過去の歴史にも想いを致しつつも、楽しむスタイルで良いのではないでしょうか
逆に言えば、現実に起こったこととはいえ、こういう紛争の方が本来人間としてはイレギュラーな状態とも言えるのだと思います
危機意識をあおり過ぎるのもよくありませんが、全く持たないのはもっと危険ですよね(笑)
過去の歴史と言っても、ついこないだってな感じなんですよね・・・
その頃自分はおバカ丸出しってな感じで、恥ずかしいぐらい自分が楽しむ事しか頭になかったです
水彩画みたいですね
額に入れて飾りたいです、本当に美しい
こんなに優し気な雰囲気の場所で、
ついこの間まで、凄惨な紛争が起きていたとは…。
過ちを二度と起こさない為には、
辛い事だけど忘れてはいけませんね。
ありがとうございます、なかなか良い感じでしょ?
ちょうど日差しが柔らかな感じになっていて、我ながら上手に撮れたとかなり気に入っています
そうなんですよね、こんな素敵な街で悲惨な事が起きていたなんて・・・