クロアチアの旅 23 ・ ボスニアヘルツェゴビナってこんな国

今回はスロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの、旧ユーゴスラビアの3か国を旅しました!

ボスニア・ヘルツェゴビナは旅したなんて大袈裟なもんじゃく、立ち寄る程度だったんですけどね

自分自身も名前は知っているけど、実際どんな国だか全然分かっていませんでした

そんな訳で、ボスニア・ヘルツェゴビナってこんな国なんだよって簡単に紹介します


画像



ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗です

縦横比が1:2と珍しく、青と星はEUの一員である事を表しています

黄色は希望と太陽を表し、逆三角形は国土の形と3つの民族の融和の願いだそうです



正式国名:ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)

面積:5万1,000平方キロメートル(クロアチアよりやや小さく九州の約1.43倍ほど)

人口:約388万人

首都:サラエボ

公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語

通貨:コンバーティブルマルク(km) 1km=0.5ユーロで固定

日本との時差:-8時間





6世紀 スラヴ人定住開始

14世紀 ハンガリーに抵抗しつつボスニア王国を確立

1463年 オスマン・トルコによるボスニア征服

1878年 オーストリア・ハンガリー帝国支配下の一州となる

1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国領

1945年 旧ユーゴを構成する共和国の一つとして発足

1992年2月 独立を問う住民投票の実施

1992年4月 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まる

1995年12月 デイトン和平合意成立




ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争とは、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦の事で、その背景は非常に複雑ではあるのですが、大雑把かつ簡単に説明します


1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア共和国がユーゴスラビアからの独立を宣言、クロアチアではクロアチア紛争が始まりました

相次ぐ独立宣言や隣国での民族間紛争の勃発により、ボスニア・ヘルツェゴビナの各民族間にも緊張・不信が広がります

正教徒主体のセルビア人たちは、ユーゴスラビア連邦に留まることを望み、イスラム教徒中心のボスニア人(旧ムスリム人で独立後はボシュニャク人と呼ぶ)や、ローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望んだ(この3つの民族は互いに言語・文化の多くを同じくする一方、異なる宗教に属していました

ユーゴに留まりたいセルビア人と、独立したいので共闘していたボスニア人とクロアチア人もやがてお互いが戦闘状態になりさらに被害が拡大しました

セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人主体によるユーゴスラビアと言う国ができた経緯まで話は溯らなければならないのですが、話が更に複雑かつ長くなるので今回は省かせていただきますm(__)m






1992年、ボスニア政府はセルビア人がボイコットする中で国民投票を強行し、独立を宣言してユーゴスラビアから独立

これに対してセルビア人やクロアチア人はボスニア人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を作って対抗し、それぞれ独自の議会を持ち武装を進めた

セルビア人共同体はボスニア・ヘルツェゴビナからの分離を宣言し、ユーゴスラビア人民軍が公式に撤退すると、その兵員や兵器の一部を受け継ぎスルプスカ共和国軍となった

また、クロアチア人共同体もクロアチア人共和国の樹立を宣言し、同国の軍としてクロアチア防衛評議会を設立し、クロアチア人による統一的な軍事組織を樹立した

2つの民族ごとの分離主義国家、および事実上ボスニア人主導となったボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府の3者による争いは、それぞれの支配地域の拡大を試みる「陣取り合戦」の様相を呈し、それぞれ自勢力から異民族を排除する目的で虐殺や見せしめ的な暴行による追放・民族浄化が繰り広げられた


やはり異なる宗教の共存は難しいのでしょうかね・・・






1994年にはアメリカ合衆国の主導でボスニア政府とクロアチア人勢力との間で停戦が成立

これによって両勢力はセルビア人勢力に対して反転攻勢をはじめ、またNATOによる空爆などの軍事介入も行われた


不勉強と言うかおバカと言うか、このころ自分は本場のティラミスを食べてながら喜んでいましたよ

近くのイタリアまで行きながら、紛争の事など当時の事はほとんど記憶が無いんですよね・・・








1995年に国際連合の調停で和平協定デイトン合意に調印し、紛争はようやく終結しました

3年半以上にわたり各民族が共和国全土で覇権を争って戦闘を繰り広げ、死者20万、難民・避難民200万と言われる戦後欧州で最悪の紛争となりました

デイトン合意によってボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア人(ムスリム人)とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国(セルビア人共和国)という2つの構成体から成る連合国家となりました



簡単ですが、以上がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のあらましです


偉そうに説明していますが、ウィキ先生とガイドブックの受け売りなんですけどね・・・

この記事へのコメント

2015年12月23日 17:39
日本と違って、なかなか複雑な歴史ですねぇ・・・以前、テレビのドキュメントを見た時も、そう思いました。

ゴールドカード・・・私のは、娘の会社がお金を払ってくれているのです。もちろん、海外では、カードは使いますが、別のカードなんです。だから、ゴールドカードは使ったことないんです。娘のゴールドカードも、娘の会社が払ってくれていますが、娘は、最近、このゴールドカードを使っています・・・他のカードを解約したので。カードは便利ですが、色々あったら、ややこしいですよね。先日、使っていない別のカードを解約しました。
海外では、スーパーでの支払いは、必ずカードにしています、沢山買い物するので。

クロアチアの記事は、ゆっくり見させて頂きます、楽しみです(^^♪
2015年12月24日 09:33
大勢の人が亡くなった内戦や、その後の隣国との戦争も悲惨です
その結果、更に親戚や一族と違う国の所属となってしまったりと、いまだにその尾を引きづっています

ゴールドカード???
たしか以前そのような話題が出たような気がしますが、どんな内容でしたかね?
えっ、娘さんの会社で払ってくれるんですか???
全然話が見えてこないのですが、娘さんはその系統の会社で働いているって事なんでしょうかね?
自分はANAカードだけを使っています
一応年会費無料のGS系のカードも海外旅行時の予備として所持してはいますが、一切使いませんよ
2015年12月27日 00:42
あの第一次大戦のきっかけの暗殺事件が起こったサラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都なんですね。
うかつにも知りませんでした。
多民族、多宗教の国は諍いが絶えませんね。
人類はある面では進歩していますが、そういう対立を克服する英知をもちえていないのは残念です。
2015年12月28日 09:02
暗殺事件をきっかけに第一次世界大戦へ突入する訳ですが、そもそもオーストリアハンガリー帝国すなわちハプスブルグ家の勢力がこの地を無理矢理併合したりするからではないでしょうかね?
勉強不足で詳しい背景は分かりませんが、ここでも一つハプスブルグ家がキーワードになっているようですよね
それとおっしゃる通り、多民族、多宗教の国家は、一つにまとまる事は難しいんでしょうね・・・
自分は無宗教なので、こういった宗教間の争いが全く理解できませんよ
2016年01月02日 16:02
ボスニアと言えばやはりイメージは紛争ですね
冷戦終結で局地紛争が増えるとの見方がありましたが、本当にその通りになってしまいましたし、911みたいに小説でしかないようなことが既に現実になってりもしていますね
国旗は端の星が切れていますが、わざとなんですかね?
プリント配付物じゃないんだから、中途半端な端くらい残さなければなんて思いますが、余計なお世話ですね
2016年01月04日 09:21
おっしゃる通り、まず紛争ってのが頭に浮かびますよね
旧ユーゴ関係の紛争が治まったと思ったら、今度はイスラム関係の紛争が激化しちゃいましたもんね・・・
国旗の星の事は良く分からないんですが、何かしらの意味があるんでしょうね
その辺もっと突っ込んで聞くべきでしたねm(__)m

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