クロアチアの旅 17 ・ 世界遺産の街 トロギール
小さな島全体が街となっている古都トロギール、1997年に世界文化遺産に登録されました
紀元前4世紀ごろにギリシャ人によって造られ、かつては街全体が城壁に囲まれていた要塞都市でした
オスマン帝国から街を守る為とヴェネチア支配に反抗する住民から身を守る為に城壁が築かれました
昔は島ではありませんでした
要塞都市とする為に運河を掘り、本土と隔てる事によって独立した小島の要塞都市としたそうです
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、画像は自由時間の時に撮影した城壁・北門入口です
本土から橋で渡った正面にあります
右が本土、左が小島となっているトロギールになります
参加した旅行社のトロギール紹介ページから拝借した、島を上から見た画像です
こちらも分かりづらいですが、上の画像左の細い水路が運河となり島となっています
守護聖人が見守る北門から入ると、石畳が複雑に入り組む中世のまま時が止まったような街が現れます
聖ロヴロ大聖堂と時計塔です
時計塔の左に、ちょこっと写っているのが市庁舎です
北門から入り反対側の南門まではわずか200mほどです
画像正面が北門方向、背中側が南門になります
ゆっくり見ながら歩いても、10~15分で反対側の海に出られます
反対側の南門です
城塞の一部が残っています
右にあるバスの待合所みたいな建物は、門限に遅れて締め出された住民が一夜を明かす為の施設です
当時は住民であっても、門限を破ると絶対に中へ入れてもらえなかったそうです
南門から出た所の海になります
門を出て右手300mぐらいの所に、カメルレンゴの要塞があります
要塞都市の名残が垣間見れるナイスなスポットだったようなのですが、ちょっと食べたい物があったので気持ちはすでにそっちに・・・
手ごろな画像を探したのですが、個人の旅行ブログにしかなかったので拝借する訳にはいきません
なので画像は無し
これからクロアチアへ行かれる方は、絶対見逃さないようにね・・・

※ 媒体によってトロギルと表記してありますが、当ブログではトロギールと表記しました
紀元前4世紀ごろにギリシャ人によって造られ、かつては街全体が城壁に囲まれていた要塞都市でした
オスマン帝国から街を守る為とヴェネチア支配に反抗する住民から身を守る為に城壁が築かれました
昔は島ではありませんでした
要塞都市とする為に運河を掘り、本土と隔てる事によって独立した小島の要塞都市としたそうです
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、画像は自由時間の時に撮影した城壁・北門入口です
本土から橋で渡った正面にあります
右が本土、左が小島となっているトロギールになります
参加した旅行社のトロギール紹介ページから拝借した、島を上から見た画像です

こちらも分かりづらいですが、上の画像左の細い水路が運河となり島となっています
守護聖人が見守る北門から入ると、石畳が複雑に入り組む中世のまま時が止まったような街が現れます
聖ロヴロ大聖堂と時計塔です
時計塔の左に、ちょこっと写っているのが市庁舎です

北門から入り反対側の南門まではわずか200mほどです
画像正面が北門方向、背中側が南門になります
ゆっくり見ながら歩いても、10~15分で反対側の海に出られます
反対側の南門です
城塞の一部が残っています
右にあるバスの待合所みたいな建物は、門限に遅れて締め出された住民が一夜を明かす為の施設です
当時は住民であっても、門限を破ると絶対に中へ入れてもらえなかったそうです

南門から出た所の海になります
門を出て右手300mぐらいの所に、カメルレンゴの要塞があります
要塞都市の名残が垣間見れるナイスなスポットだったようなのですが、ちょっと食べたい物があったので気持ちはすでにそっちに・・・

手ごろな画像を探したのですが、個人の旅行ブログにしかなかったので拝借する訳にはいきません
なので画像は無し

これからクロアチアへ行かれる方は、絶対見逃さないようにね・・・
※ 媒体によってトロギルと表記してありますが、当ブログではトロギールと表記しました
この記事へのコメント
趣があって歩くのが楽しそうです
うふふ。。。何を食べるんだろう(笑)
地中海沿岸には、独立した主権国家的な都市が多いみたいですが、こちらもその一つでしょうか。
島を本土とつなぐというのはよくありますけど、切り離すとは驚きです。
勉強になります。
感心しております。
それにしてもここ数年でようやく平和な暮らしになったのですから、なんとも複雑な歴史を背負ってますよね・・・
仮眠室みたいな建物、石造りですから間違いなく冷えるでしょうね
特に夕暮れ時が素敵でしたよ!
こんな街で一杯飲みながら食事ができたら最高なんですけどね
でもそれが許されないのがツアーの辛いところです・・・
やがてヴェネチア共和国に支配され、次はハプスブルグ家、更に諸々の支配があり最終的にはユーゴに組み込まれると言った、いわば植民地支配の歴史が長く続いた街だそうです
そうですよね、切り離して独立した島にしちゃうってのは聞いた事がありませんよね
まして島全体を城壁で囲んで要塞都市にしちゃうなんてね
門限があって、しかも締め出された人用の施設があるのが可笑しいですね
しかし、世界遺産って毎年指定されて、そのうち世界遺産だらけにならないのでしょうか?
そんな心配はいらないのでしょうかね、それとも返上するところもあってバランスが取れているのでしょうかね
それほど当時は外敵からの攻撃にさらされていたんでしょうね
おっしゃる通り、自分も世界遺産が多過ぎると思います
もはや増えすぎて、その価値が下がっているような気がします
素晴らしい世界遺産と、え~、これがと思うものとの差があり過ぎると思うんですよね・・・