西九州の旅 9 ・ 原爆と平和

今回もう一つの旅の目的が、長崎原爆資料館に行く事でした
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/abm/

4回目の長崎訪問で、やっと資料館に行く事ができました


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平和公園にある平和祈念像です

過去3回の訪問全てでこの平和公園に来ましたが、原爆資料館は一度も寄る事はありませんでした

2回目の訪問は高校の時の修学旅行だったんですが、その時も資料館には行きませんでした

修学旅行でディズニーランドに行く学校も多いようですが、是非とも原爆資料館や知覧の特攻会館など、戦争の悲惨さを学ぶ機会を学生に与えていただきたいと思います





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原爆落下中心地碑です

1945年8月9日午前11時2分、ここの上空500mで炸裂した原子爆弾は、数千度と言う強烈な熱風と凄まじい爆風、そして放射能を放ちました

地表面の温度は3000℃~4000℃に達し、ガラスも瓦もたちまち沸騰し泡立つほどの灼熱地獄になったそうです

付近にいた人の体は一瞬で炭のようになり、内臓の水分も蒸発したそうです

当時の被害状況は死者73884人、傷者74909人となっていますが、その後原爆が影響で亡くなった人や、今でもその後遺症で入院されている人もいるそうです






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展示されているもので、撮影可能なものを抜粋して掲載しました


この資料館に展示してある写真よりも惨いものが、平和祈念式典では展示されるそうです






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核保有国の保有状況です




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国別核実験の回数です・・・




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最後に永井隆博士を紹介します

患者の命を救うために危険を承知で1日100人ものレントゲン画像を肉眼で診断し続けて白血病になり、更に被爆により急性原子爆弾症になりながら、原爆症の研究と平和への祈りに生涯を捧げた方ですhttp://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/abm/insti/nagai/






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今回こちらを訪れる事ができて本当に良かったです

今まで自分がどれほど勉強不足だったか

あらためて平和のありがたさ、そして戦争の悲惨さ、無益さが分かりました

これまでに、ひめゆり平和祈念資料館、知覧特攻会館などを見学しました

世界には色々と負の遺産人間として見ておかなければいけない過去の過ちなどを展示した資料館などが色々あります

今後もチャンスがありましたら、そのような施設に足を運びたいと思います

くどいようですが、是非とも修学旅行はこのような場所を見学コースに入れていただきたいです

でもね、このとき原爆資料館に修学旅行で中学生が200人ぐらい来ていました

彼らがどう感じ、どう考えうるのか気になるところです・・・

それと共に、ここをコースに選んだ先生たちが居た事にホットしました









偉そうな事は言えませんが、それぞれの立場で見方も変わると思いますが、出来る事ならこのような戦争に関する資料館を世界各国の多くの人達に見ていただきたいです

世界各国の指導者、特に先進国の指導者は是非とも原爆資料館をはじめ世界各国にある戦争資料館に足を運んでいただきたいです

もちろん日本が行ってきた酷い事もありますし、原爆を投下された悲しい現実もあります

それら全てを含め、これからの世代には戦争の悲惨さを十分認識して、世界平和の理想を実現してもらいたいです

まだまだテロがあったり、各地で紛争があったりします

しかしどこかで負の連鎖を断ち切り、戦争の無い未来へ第一歩を踏み出してほしいものです

軍備に掛ける費用を世界平和の為や、貧困で喘ぐ人々に使う方がどれだけ有意義かと思います

ありきたりで生意気な感想ですが、つくづく平和のありがたさを実感しました

この記事へのコメント

2013年06月22日 18:10
長崎原爆資料館は立ち寄れずでしたが、永井隆記念館と博士のほんとうに小さな庵りは訪れることができました。記念館では小学生に交じってビデオを見ながら、「大人って何て馬鹿な生き物なんだろう」と子供たちの純粋な目が語っていたようで、ずいぶんと恥ずかしい気分になったことを思い出しました。
2013年06月22日 21:51
自分は時間が無く、永井博士の資料館は行かれませんでした
永井先生が住んでおられた小さな小さな家は、バスの中から見る事ができました
立派な先生にもかかわらず、ずいぶんと小さな家でつましく生活されていたんだと感じました・・・
2013年06月23日 10:53
長崎にも本格的な施設があるのですね
オバマ大統領の核の縮小に乗り出していますが、昔と違って拡散が進んでしまっているのが厄介なところですね
2013年06月24日 07:28
涙なくしては見られませんでした
しかし長崎はよくここまで復興したと思いますよ・・・
たしかにオバマさんは頑張っているようですが、世界の流れは微妙に逆行している気がしないでもありません
2013年06月24日 10:09
実は,ここは佐賀在住中には敢えていかなかったんです。行けなかったというか…。
中学の時の修学旅行で訪れたのですが,あまりに凄惨な写真や展示物があった印象が強く,結婚して子供もできて…と自分の状況が中学時代とは随分変わったこともあり,当時以上に胸に堪えそうで,行く勇気がありませんでした。
でも,だからこそ行ってみておく必要があるのかもしれませんね。
2013年06月24日 17:51
自分もこのような施設を見学すると、非常に気分は重たくなります・・・
しかし、やはり日本人として見ておかなければと思っています
去年は知覧の特攻会館を見学しましたが、また違ったインパクトがあるし、一言では言い表せませんが、やはり平和の大切さが身に沁みます・・・
中学の修学旅行で行かれたとの事ですが、是非とも他の学校も見習ってほしいです!
2013年06月25日 01:41
ある時ふと「数十年後には実際に戦争を体験した人がいなくなる」と思って以来、(積極的とは言えませんが)なるべく目をそむけずにテレビや映画を観たり本を読んだり、こういった記念館などを訪れ実際にどうだったのかということを知るように心掛けています。だいぶ若い頃に長崎の平和公園に行きましたが、関心を持った今行ったら違う印象を受けるんだろうなと感じました。今回のこの記事からも色々と学ばせていただきました。平和のありがたさ、普段からもっとしっかり感じないといけないなぁ。。。
2013年06月25日 08:16
なるほど、たしかに戦争経験者が居なくなる時もそう遠くないでしょうね・・・
現在日本を取り巻く戦争についてのあれこれが問題になっていますが、詳細はどうあれ戦争自体がいけない事なんだと思うんですけどね・・・

生意気で偉そうな事を書いてしまいましたが、多少共感していただいたようでこちらこそありがとうございます
2013年06月27日 19:04
永井博士の事、初めて知りました。こういう事は漫然としてては、情報得られないんですよね。本来なら、例えば教科書に載せるとか(載ってるのかな?)、様々な機会に取り上げて欲しいのですがなかなかそうはなって無いので、自分で積極的に調べたりしないといけないですね。
2013年06月27日 21:01
自分も永井博士の事は全く知りませんでしたよ・・・
おっしゃる通り、このような事は教科書に載せてほしいですよね!
最近自分は、積極的に過去の負の遺産についてもっと知るべきだは無いかと思うようになり、チャンスがあれば見るようにしています!
2013年07月17日 05:20
私たちが子供の頃は文学等で触れる機会が多かったですよね。
大人になっても8月6日,9日になると、子供の頃感じたあの戦慄を思い出し身震いします。
戦後世代の日本だからこそ、改めて認識する必要を感じます。
2013年07月18日 08:54
普段自分は勉強不足なので、チャンスがあったらなるべくこのような施設に足を運ぶようにしています・・・
いつも思うんですが、このような施設こそ修学旅行とかで見学に来てほしいです!

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