トルコってこんな国 ・ 日本人215名を救ってくれたトルコ航空
今回のトルコ旅行に際し、意外な事実を知る事になりました
皆さんはイラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人を救ってくれたのはトルコ航空だって知っていましたか?
http://www.turkey.jp/2003/info03_5.html
http://www.youtube.com/watch?v=0gjLlqFD8R0
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/
恥ずかしながら、自分は今回の旅行を申し込むまで全く知りませんでした
旅行申し込み後、BSの旅番組やガイドブックでトルコの事を調べるうちに初めてその事実を知りました
話しは112年前のエルトゥールル号の沈没事件までさかのぼるのですが、ざっとですがその概要をお話ししたいと思います
理由はどうあれ、取り残された日本人を救ってくれたのは紛れもなくTURKISH AIRLINES
そう、2機のトルコ航空機がテヘランに取り残された日本人を救ってくれたんです
1985年、イラン・イラク戦争のさなかに、イラクのサダム・フセイン大統領は「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、この期限以降にテヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告
テヘラン在住の日本人は約1000名、事前に国外脱出をしていた人たちもいただが、およそ300名が期限を目前に空港ロビーにかけ込んできたそうです
ドイツやイタリア人は自国の航空会社の臨時便で次つぎに退去していくが、日本人は乗せてもらえません
どこの航空機も自国民優先、日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」ことを理由に、派遣を見合わせると回答
空港にとり残された日本人は最終的に215人、刻々とタイムリミットが迫ります
テヘランの日本大使館の野村豊大使がこの事態を何とか打開しなければと、日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えたそうです
するとトルコのビルレル大使は「わかりました、ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう」
「トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています」
「ご恩返しをさせていただきましょう」と!
大使の要請を受けたトルコ航空は、すかさず2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せ、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返し、日本人全員無事だったそうです
何とも胸の熱くなる話だと思いませんか?
涙無しでは聞けませんよね!
ここで、何だ、日本に恩があったから救いの手を伸ばしたんだと思わないで下さい
実はこの時点で約600人のトルコ人もテヘランに取り残されていました
日本人を優先し、その方たちは陸路車で脱出したそうです
帰りの安全が保障できないからと臨時便を出さなかった日本航空
帰りの安全が保障されていないからこそ救出便を出したと言うトルコ航空
当時フラッグシップと言われていて日本航空ですが、確かに乗務員の安全も大切ですが飛ばしてほしかったですね・・・
ここでキーワードとなるエルトゥールル号沈没事件について簡単に説明しますね
1890年、明治天皇の親書の答礼としてオスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号で日本へやってきました
しかし、帰路、和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没し、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となりましたが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出
後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というのが概略です
トルコの人々はこの事にとても感激し、それ以降大の親日家となったと共に、その恩義を忘れないと言う事です
このエルトゥールル号の事は小学校の教科書にも載っていて、知らないトルコ人はいないとまで言われています
その反面、トルコ航空による日本人救出の事を知っている日本人はどれだけいるのでしょうか?
まぁ自分の勉強不足ではあるんですが、もっとこのような話は大々的に伝えられても良いような気もします・・・
その後、東日本大震災の時も救援隊や救援物資、義援金などを送ってくれたりと、何かと支援してくれるトルコに感謝したいと思います
ネットでは、トルコの教科書にエルトゥールル号の事は記載されていないと言う意見や、多少違った側面があるのも事実です
しかし自分が感じたトルコの印象ですが、あっ、なんだかこれじゃ旅行記の〆みたいになっちゃいますね
その辺は最後のお楽しみに取って置いて、トルコがなんで親日家と言う事がお分かりいただけたかと思います
とりあえずこの事実を伝えたかったんですが、旅行記に組み入れるもちょっと変な気がしたので順番を変えました
この後のトルコ旅行記で、自分が感じたトルコについてアップしていきますのでよろしくお願いします
皆さんはイラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人を救ってくれたのはトルコ航空だって知っていましたか?
http://www.turkey.jp/2003/info03_5.html
http://www.youtube.com/watch?v=0gjLlqFD8R0
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/
恥ずかしながら、自分は今回の旅行を申し込むまで全く知りませんでした
旅行申し込み後、BSの旅番組やガイドブックでトルコの事を調べるうちに初めてその事実を知りました
話しは112年前のエルトゥールル号の沈没事件までさかのぼるのですが、ざっとですがその概要をお話ししたいと思います
理由はどうあれ、取り残された日本人を救ってくれたのは紛れもなくTURKISH AIRLINES
そう、2機のトルコ航空機がテヘランに取り残された日本人を救ってくれたんです
1985年、イラン・イラク戦争のさなかに、イラクのサダム・フセイン大統領は「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、この期限以降にテヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告
テヘラン在住の日本人は約1000名、事前に国外脱出をしていた人たちもいただが、およそ300名が期限を目前に空港ロビーにかけ込んできたそうです
ドイツやイタリア人は自国の航空会社の臨時便で次つぎに退去していくが、日本人は乗せてもらえません
どこの航空機も自国民優先、日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」ことを理由に、派遣を見合わせると回答
空港にとり残された日本人は最終的に215人、刻々とタイムリミットが迫ります
テヘランの日本大使館の野村豊大使がこの事態を何とか打開しなければと、日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えたそうです
するとトルコのビルレル大使は「わかりました、ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう」
「トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています」
「ご恩返しをさせていただきましょう」と!
大使の要請を受けたトルコ航空は、すかさず2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せ、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返し、日本人全員無事だったそうです
何とも胸の熱くなる話だと思いませんか?
涙無しでは聞けませんよね!
ここで、何だ、日本に恩があったから救いの手を伸ばしたんだと思わないで下さい
実はこの時点で約600人のトルコ人もテヘランに取り残されていました
日本人を優先し、その方たちは陸路車で脱出したそうです
帰りの安全が保障できないからと臨時便を出さなかった日本航空
帰りの安全が保障されていないからこそ救出便を出したと言うトルコ航空
当時フラッグシップと言われていて日本航空ですが、確かに乗務員の安全も大切ですが飛ばしてほしかったですね・・・
ここでキーワードとなるエルトゥールル号沈没事件について簡単に説明しますね
1890年、明治天皇の親書の答礼としてオスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号で日本へやってきました
しかし、帰路、和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没し、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となりましたが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出
後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というのが概略です
トルコの人々はこの事にとても感激し、それ以降大の親日家となったと共に、その恩義を忘れないと言う事です
このエルトゥールル号の事は小学校の教科書にも載っていて、知らないトルコ人はいないとまで言われています
その反面、トルコ航空による日本人救出の事を知っている日本人はどれだけいるのでしょうか?
まぁ自分の勉強不足ではあるんですが、もっとこのような話は大々的に伝えられても良いような気もします・・・
その後、東日本大震災の時も救援隊や救援物資、義援金などを送ってくれたりと、何かと支援してくれるトルコに感謝したいと思います
ネットでは、トルコの教科書にエルトゥールル号の事は記載されていないと言う意見や、多少違った側面があるのも事実です
しかし自分が感じたトルコの印象ですが、あっ、なんだかこれじゃ旅行記の〆みたいになっちゃいますね
その辺は最後のお楽しみに取って置いて、トルコがなんで親日家と言う事がお分かりいただけたかと思います
とりあえずこの事実を伝えたかったんですが、旅行記に組み入れるもちょっと変な気がしたので順番を変えました
この後のトルコ旅行記で、自分が感じたトルコについてアップしていきますのでよろしくお願いします
この記事へのコメント
むしろその前のエルトゥールル号の事についての感謝していると言うんです
社交辞令かもしれませんが、日本とは友達とも言っていました!
今回自分自身は、ネットなどで書いてあるような不快な事は一度もありませんでしたし、むしろ物凄く良い出会い、良い時間を過ごせたと感じております
ゆけむりさんのトルコ旅行に記事をこれからじっくり楽しませて頂きますね!
ホテルのフロントなどはビジネスライクの部分もありましたが、街で出会ったトルコ人、レストランで隣り合わせたトルコ人は、総じてフレンドリーで、とても快適な旅ができました
ずっ~と、帰りを待っていました、早く、旅行話を聞きたくて。
すごく感動するお話ですね、私も、まったく知らなかったです。
旅に出る前、その国のことを調べるのは、楽しいですよね。
でも、こんないい話があったなんて!!!
日本も、教科書に載せればいいのに・・・。
国の外交って、大事ですけど、こんな人間関係が、基本だと思うのです。
やはり、国は、一人一人の人間が基本になっていると思うのです。
トルコは、親日家が多いとは、知っていましたが、こんな事実があったなんて、本当に知りませんでした。
教えてくれて、ありがとうございます!
トルコはこの時だけでなく、東日本大震災の時に救助隊や支援物資、あるいは多くの義援金を出してくれたりもいているんですよ~
日本もトルコ地震の時に多少支援したようですが、にほんのGDPから考えるとわずかな支援と言わざるを得ません
でもトルコ機の救出を知っている一部の人達が自発的にトルコ大使館に現金入りの封筒を投函したり、我々が知らない所で支援の輪が広がっていたそうです
助け合う気持ちっていいですね。
こういうお話を聴くと、トルコという国に親しみを感じますし、自分も何かできることがあればいいな~と素直に思います。
教えていただいてありがとうございます。
昨今、近隣諸国との国境問題ばかりですもんね。
商売道具としては大事にする割に、本音は…みたいに。。
とても心安らぎました。
でも、自分自身も非常に感激したので皆さんにも伝えたかっただけです!
そうなんですよね~
自分も物凄く親近感を持ち、大好きな国になってしまいました!
ネットになるような嫌な体験も全くなく、むしろその逆で行く先々で親切にしてもらいました
でも、自分自身も非常に感激したので皆さんにも伝えたかっただけです!
この話を聞く限り(大震災でも助けてくれた)損得抜きの友情みたいなものを感じ、トルコの人々の優しさと言うか心意気を感じました
でも、自分自身も非常に感激したので皆さんにも伝えたかっただけです!
近隣諸国との軋轢がある中、このような素敵な国とはいつまでも良い関係を保ちたいと思いますよね~
日本政府もJALが飛ばないんだったら、超法規的措置で政府専用機でも飛ばすべきですよね!
こういう事って、ちゃんと知っておきたいですよね。
近隣諸国?は、膨大な援助などしても、恩返しどころか・・・なのに、こんな友好的な国の人達とは、本当に良い関係でいつまでもいたいですね。
その反面、トルコのような友好国とはいつまでも良い関係を保ちたいですよね~